校長贅言76 2021年度卒業式

[校長贅言]

3月19日(土)、前日の冷たい雨から一転してさわやかな朝を迎え、令和3年度の卒業式が行われました。

 

 前日には卒業式予行が行われましたが、その後で多くの卒業生がアルバムを持って校長室を訪れ、アルバムへの寄せ書きを求められました。例年の3~4倍の数の生徒がやってきたのは、17日に行われた、卒業生自らが企画した卒業祭『東洋 卒業させてくだ祭』に端役として出演させてもらったからでしょうか?

卒業式そのものは、未だ東京都にまん延防止等重点措置が発せられているため、一昨年度、昨年度と同様、一部を省略しての短縮版として実施することになりました。成績の褒賞も外部団体からの褒賞も代表者1名に賞状を渡す形で、校歌も式歌も斉唱はなしです。

 今年度の3年生は、入学式から始まって年末までは例年通りでしたが、年が明けてから新型コロナウイルス感染症が発生し、2年次に進んだときから4月、5月と自宅学習が続きました。6月の体育祭は中止、夏のクラブ合宿もなし、10月の東洋祭は見送られて代わりにTFC(東洋フィルムコンテスト)になったりしました。ついには2年次の修学旅行もなくなり、代わりに学年内球技大会、お台場での宝探しイベントとなりました。もちろん授業も平常通り行われることは少なく、休校になったり、オンラインになったり、短縮授業になったりしました。息を抜けるはずの昼食も時間内の黙食でした。

 そうした制限やストレスが溜まる生活の中でも彼女ら彼らは粛々と学習をはじめやるべきことをやり、自らの進むべき道を模索していました。生徒たちに私たち教員も教えられることの多い3年間だったように思います。

迷いや失敗の経験を含めて、成長した卒業生の姿を見ることのできた卒業式でした。ご卒業、おめでとうございます。

 

〈校長式辞で紹介した牧師・反ナチス運動家のマルティン・ニーメラー(1892- 1984年)の詩〉

   ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

   社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

   彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

   そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

最後のホームルームです

入場の様子

学年の先生方

式場全体の様子

都知事賞、「学助髙実」賞の授与

前生徒会長による卒業生のことば